我が国における精神障害者に対する処遇の歴史は、大きく分けると表1に示すように、1)加持祈祷が中心の時代、2)監護・治安に重点をおいた時代、3)入院治療に重点をおいた時代、4)地域精神医療に重点をおく時代と4つに分けることができる。
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表1 わが国における精神障害者に対する処遇をめぐる歴史的出来事 | |
●加持祈祷が中心の時代 | |
●監護・治安に重点をおいた時代 | |
1900(明治33)年 | 精神病者監護法公布 |
1918(大正7)年 | 「精神病者私宅ノ實況及ビ其統計的觀察」(呉 秀三ら) |
1919(大正8)年 | 精神病院法公布 |
●入院治療に重点をおいた時代 | |
1950(昭和25)年 | 精神衛生法公布 |
1964(昭和39)年 | ライシャワー事件 |
1965(昭和40)年 | 精神衛生法改正 |
1983(昭和58)年 | 宇都宮病院事件 |
1987(昭和62)年 | 精神保健法公布 |
1991(平成3)年 | 「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの進歩のための諸原則」が国連総会で採択 |
1993(平成5)年 | 障害者基本法成立 |
1995(平成7)年 | 精神保健福祉法へと改正 |
「精神障害者保健福祉手帳制度」導入 | |
「障害者プラン(ノーマライゼーション7ヵ年計画)」発表 | |
2003(平成15)年 | 「新障害者基本計画」「重点施策実施5ヵ年計画」施工 |
●地域精神医療に重点をおく時代 | |
2005(平成17)年 | 障害者自立支援法成立 |
2006(平成18)年 | 「障害者権利条約」が国連で採択 |
2007(平成19)年 | 日本政府は同条約を承認 |
1)加持・祈祷が中心の時代
我が国においても、精神障害の原因について主として超自然的な解釈がなされる時代が長く続いた。その時代には、物の怪に憑かれるとか、狐憑きが起こったとか、怨霊に憑かれたとか解釈されてきた。その治療としては加持祈祷が中心であった。明治時代に、西洋精神医学が導入されて、脳の病気として治療の対象となった。
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2)監護・治安に重点をおいた時代
その一方、明治33年に精神障害者の監護責任を明確にするための法律として精神病者監護法が公布された。同法では、精神病者には家族の中から監護義務者を定め、それを警察署を通じて地方長官に許可を得るように定めている。これは、精神障害者に対する我が国で最初の法律であるが、保護監督責任を定めたものであり、治療について定めたものではなかった。当時、精神障害者は全く治療を受けることができず、私宅監置として粗末な座敷牢に入れられている者が多かった。
大正7年、我が国の近代精神医学の基礎を築いた呉秀三4)は当時の精神障害者がどのような処遇を受けているかを報告した。その中で、当時の我が国の精神病者の悲惨な実情を次の言葉で表している。「我邦十何萬の� ��神病者は実に此病を受けたるの不幸の外に、此邦に生まれたるの不幸を重ぬるものと云うべし。精神病者の救済・保護は実に人道問題にして、我邦目下の急務と謂はざるべからず。」としている。この報告により、精神障害に対する治療の必要性が認識され、大正8年に精神病院法が公布された。そこでは、内務大臣は道府県に精神病院の設置を命じることができると定められた。しかし、その後も、精神病院の設置は遅々として進まなかった。昭和6年においても、精神病院を有する府県は僅か3府17県であった。昭和16年に大東亜戦争が開戦になると、精神病者への保護と治療への関心は乏しくなり精神病院が減少した。また、食料不足から入院中の精神障害者が餓死することも多かった。
3)入院治療に重点をおいた時代
大東亜戦争に敗戦して5年後の昭和25年、再び精神障害者に対する医療と保護への関心が蘇り精神衛生法が公布された。同法は都道府県に精神病院の設置を義務付けた。また、私宅監置を禁止し、精神病院において治療することを定めた。
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昭和39年、ライシャワー事件が発生した。それは、精神病を患う一人の患者がライシャワー米国大使に刺傷を負わせた事件であった。当時、政治的ならびに経済的に米国の強い影響化にあった我が国では、それは外交問題に発展する恐れが生じた。その事件の発生を直接の契機として、昭和40年に精神衛生法が大きく改正された。その一つは、保健所が地域における精神保健行政の第一線機関として位置づけられたことである。それによって、保健所における精神保健相談や訪問指導が強化された。それ以前は第一線の監督機関は警察であった。したがって、精神障害者の行政的対応は監護・治安から公衆衛生・治療へと移し変えられた。第二に、各都道府 県に精神保健に関する相談と技術支援の中核機関となる精神衛生センターが設置されたことである。第三に、在宅でも治療を継続できるための通院公費負担制度(現在の自立支援医療費制度)が新設された。この当時、我が国に抗精神病薬療法が導入されて10年ほど経過し、精神病患者の多くが外来通院で治療できることが確認されていた。また欧米では既に巨大精神病院での入院治療よりも地域の中で治療する地域精神医療の時代を迎えていた。しかし、我が国ではその後も、精神科病院は政府からの財政扶助を得て増加の一途を辿った。このことは、治療理念よりも監護と治安の理念が社会的に優先されたからであろう。
昭和58年、宇都宮病院事件が発生した。それは、同病院に入院していた精神障害者が長年にわたって職員によって暴行を受け死傷していたことであった。さらに、同院では入院患者を病院の用務に使役していたことが判明した。そこでは、入院患者の基本的人権が全く無視されていたのであった。この当時、類似の事件が他の精神科病院でも摘発されるようになり、大きな社会問題となったばかりではなく、国際人権委員会から日本政府が非難される事態となった。その結果、精神衛生法は人権擁護の観点から改正が行われることになった。改正された精神衛生法は精神保健法として昭和62年に公布された。その改正の主な内容は次の通りである。第一に、精神障害者本人の同意に基づく任意入 院制度が設けられたことである。それまでの精神衛生法では、入院治療は県知事による措置入院かもしくは家族の同意による入院であった。そこには、本人の意思が入る余地はなかった。第二として、入院時に入院患者の通信や面会の自由を保障するなどの固有の権利を書面で告知することが義務付けられたことである。第三に、入院の妥当性及び入院中に受ける処遇の妥当性を審査する精神医療審査会制度が設置されたことである。この改正は入院患者の人権擁護を強め、それ以降、精神科病院における人権侵害の不祥事は減少した。また、この改正では、精神障害者の社会復帰を促進するために社会復帰施設が初めて法定化されたことも、地域精神医療へ向けての意義のある一歩であった。
平成3年、国連総会において「精神疾患� �有する者の保護とメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」が採択された。それは、精神障害者の人権擁護を図り、生活する地域の中で治療を行い、治療に際してはインフォームドコンセントを大切にすることなどを規定している。
また、平成5年には心身障害者対策基本法が改正され障害者基本法が成立した。同法成立以前には、精神障害者は行政上の福祉施策の対象となるべき障害者には入っていなかった。行政的には、心身障害者の意味することは身体障害者と知的障害者であった。本法の成立によって初めて、精神障害者も行政上の福祉施策の対象となる障害者として位置づけられた。また、本法の基本理念は障害者が社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられることとしている。すなわち、精神障害者が他の障害者と同じく、社会の一員として社会参加する機会が与えられるべきことを行政的に保障した。このように精神障害者の社会参加の促進を進めるため に福祉施策の充実を求められるようになった。
そのため、平成7年、精神保健法は精神保健福祉法として改正された。その法律の目的として、自立と社会参加の促進のための援助という福祉的要素が追加された。その中で、種々の社会復帰施設が法定化されると共に、精神障害者保健福祉手帳制度が導入された。身体障害者と知的障害者では手帳制度は既に法定化されていたのであるが、精神障害者では同法によって初めて手帳制度が導入された。これは、全ての障害者を行政的には平等に扱うとする障害者基本法の理念に基づいたものである。また同じく平成7年、障害者プラン(ノーマライゼーション7ヵ年戦略)が発表された。これは、平成7年から14年までの7年間に障害者の社会参加のために国が達成を目指す障害者計画であった� �それによって、精神障害者の社会復帰施設の拡充が図られた。しかしながら、障害者プランの最終年である平成14年になってもなお我が国の精神科病院には多数の社会的入院者と呼ばれる精神障害者が残存していた。社会的入院者とは、受け入れ体制が整えば地域生活ができると考えられる人々である。すなわち、地域精神医療体制が整い、精神障害者が一般市民の共に地域生活を享受できるにはほど遠い状況であった。そこで平成14年に、「国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支えあう『共生』社会の実現を目指して」、新障害者基本計画と重点施策実施5か年計画が発表され、平成15年より施行されている。その中で、条件が整えば退院可能とされる約7万2千人の入院患者(いわゆる「社会的入院者」)について、10年間で退院・社会復� ��を目指すとしている。
4)地域精神医療に重点をおく時代
さらに平成17年、障害者施策の抜本的改革を目指して障害者自立支援法が成立した。同法は、「障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする」としている。その中で、身体障害者と知的障害者と精神障害者の三障害施策が一元化された。また、働く意欲や能力がありながら社会や職場から疎外されてきた障害者の就労支援を強化した。
平成18年には、国際連合において障害者権利条約が採択された。それは、「障害者がすべての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享有することを保障することが必要であることを再確認する」とし、さらに「いかなる者に対する障害を理由とする差別も、人間の固� �の尊厳及び価値を侵害するものであることを認める」としている。すなわち、すべての障害者に基本的人権を保障すると共に障害者差別を禁止するものである。日本政府は、平成19年9月に同条約を承認し、その批准を目指して国内の関連法をその条約に合致するように改正する準備を始めた。
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